「あの人が成功したのはセンスや才能があるから」
こういうことを言う人が必ず一定数存在しますが、もし、その人のセンスや才能が引き出されている要素があるとしたら、それは努力や経験の蓄積の賜物だと思います。
「でも、努力することもその人にとっての才能ですよね?」
と屁理屈を言った人が過去にいましたけど、「お前、それを言い出したら身も蓋もないだろーが」という話。
センスがない、才能がない、頭が悪い…自分自身にこう言い聞かせておけば、できない今の自分自身を正当化できます。
そういう意味では綺麗な言い訳と言えるかも知れません。
仕事が忙しいから、時間がないから…というのも同様かと。
別にその人がそのように言うことで、現状の不満を肯定できるなら、わざわざ周囲がごちゃごちゃ言う必要のないことですが、本当にそれでいいんですかね?
そりゃー誰だってできれば努力することを避けて通りたい。
だから、楽に乗り越えようとするんですね。
そうではなく、変な表現ですけど、楽に努力することを考えればいいんですよ。
例えば、努力の量を半分とか1/4にして、その分期間を2倍や4倍に増やすとかね。
「できるようにするにはどうするか?」を考えて、普通の人が1年でやり遂げたことを2年がかりでやる行動計画を立てるとか色々あると思います。
かんたんな話です。
じゃあ努力してきた人は、なぜ努力し続けることができたのか?
「先」を見据えていたからだと思います。
「先」とは、「なぜそれを続けるのか?」という目標とか目的のことです。
要するに「何をテーマに生きていくのか?」という話。
逆算思考で突き詰めると、行き着くのは何だかんだいってもここです。
そこがぼんやりしている人は、目標や目的をお金そのものに置きがちですが、そうすると「こうすればお金が稼げる」というものに飛びつく刹那的な行動になり、それは結局皆と同じことをすることであり、横並びになっちゃう訳です。
上手くいっている人は、皆と何かが違うから上手くいっているのです。
その「何かが違う」部分は「努力」です。
でも段々歳をとると、星飛雄馬みたいな努力はできません。
だから楽に努力しようという話です。