競馬で相応のお金を稼いでいる人の中で、失敗や挫折、損失を繰り返した経験が皆無という人は、おそらく一人もいないと思います。
皆、最初はロクに新聞の印の意味も分からない初心者だったはずです。
自分は、そこから様々な稼げない経験を積み重ねてきたからこそ、稼げるようになった今があると思っています。
でも、同じように様々な稼げない経験を積み重ねても、今もなお稼げない人がたくさんいます。
この「二極分化」ともいえる決定的な違いは何なのでしょうか?
自分は、その人が稼げない原因を追求したかしなかったかの違いだと思っています。
多くの人は、
「こうすれば競馬で稼ぐことができる」
「こうすれば馬券が的中する」
という情報を血眼になって探し、取り敢えず馬券を買ってみるところまではやります。
ここまでは稼げるようになった人も、今もなお稼げていない人も同じかと。
しかし、稼げていない人は、ちょっとやって上手くいかないと、そこで投げてしまいます。
これでは「なぜ、的中しなかったのか?」という原因が、いつまでたっても分かりませんよね?
稼げるようになった人は、この「なぜ、的中しなかったのか?」を納得できるまで追求してきたのだと思います。
「ひょっとしたら、ここを見誤ったのかも?」
「一抹の不安があったのに強行しちゃったのがまずかったのかな?」
とか色々と。
こういうのが積み重なっていくと、
「◯◯の時は、●●ではなくて、△△にすべきではないか?」
「一見▲▲のように見えるが、実は□□なのではないか?」
というような「微妙なさじ加減」が感覚として芽生えてきたりします。
この「微妙なさじ加減」というのは、度重なる失敗の経験からくる本人にしか分からない肌感覚によるもので、その人なりのノウハウと言える部分かと。
稼げている人を見て才能やセンスがあるように見えるのはこのためです。
本当なら、
「小額でもいいのでとにかく実践をして、その結果を振り返ることで、少しずつその肌感覚を身につけていきましょう」
と言いたいし、そうすることで早く稼げるようになるんですけども、今は大多数の人の可処分所得は低いはず。
できれば失敗はしたくない、お金を失いたくないと思うのは当然かと。
しかし、何を始めるにしても失敗はつきものであり、人は失敗からでしか学べません。
失敗してお金を失いたくないのなら、お金を失わずに失敗をすればいい訳です。
これなら失敗し放題ですね。(笑)
一体どういうことか?
「エア予想=お金をかけずにひたすら予想だけをする」をすればいい。
お金をかけなければ、どれだけ不的中を喰らおうが痛くも痒くもないですよね?
でも、実際にお金を賭けないと痛みを感じることがないので、多分、予想が雑になると思います。
これでは何の効果も見込めません。
それならば、「結果に意味を持たせる」ようにするといいと思います。
どういうことかというと、レース結果に対して「この馬は◯◯だから来た」とか「この馬は●●が原因で凡走した」と自分勝手に理由付けをして、それをノートに書き留めていくのです。
最初のうちは、理由付けがテキトーすぎて全然辻褄が合っていないと思います。
でも、これを3ヶ月も繰り返していると、段々辻褄が合ってきます。
なぜなら、競馬はほぼほぼ毎週同じようなことが繰り返されているからです。
ただ、これを行うには相応の知識の蓄えがないと続きません。
でないと、いつまで経っても自分勝手でテキトーな理由付けのオンパレードになり、その書き留めたノートはゴミ以下になってしまいます。
じゃあその知識をどこで仕入れるか?
手前味噌で恐縮ですが ↓ が宜しいかと。